私の錯覚資産
前回、思考の錯覚と錯覚資産について知ったことをまとめてみました。
それをきっかけに、自分のこれまでを振り返ってみると、自分はたくさんの錯覚資産を増やしてきて、今があるなあと思いました。
悔しい部分もありますが、自分が持っている
ある実力が
生み出してくれたのだと思っています。
この実力については、後で触れるとして、自己紹介も兼ねて、これまでの教員人生を振り返ります。
講師に任用
もう、20年以上前、私は教員採用試験を落ち、通勤可能な範囲の教育委員会に講師登録をした。当時は、教員採用氷河期で、倍率が10数倍であった。したがって、講師希望者も数多くおり、履歴書を提出しても、
こんなに希望者がいるからね
と、分厚いファイルを見せられた。
半分期待せずにいたところ、任用依頼の連絡をもらった。
面接の時に教頭が言ったのが、
「先生の◯◯高校、△△大学出身なんだね。特に◯◯高校の卒業生なら
間違いない
と思って連絡したけど、やっぱり間違いなかった~」
今でも覚えている。
◯◯高校に行っててよかった~
と思った。
伝統校で、年配の人からは一目おかれている学校であることは間違いなかった。でも、もっと学力の高い進学校はゴロゴロあった。
講師として走り出す
赴任した学校では、7、8年ぶりの新卒教員だったようだ。自分の次に若い先生が35才と一回り以上、年上だった。
休み時間になれば、子どもたちとドッジボールやサッカー三昧。一番運動ができる子も敵ではない。その姿を見た子どもたちは、
この先生、すごい!
休み時間に外で遊ぶ先生なんておらず、遊ぶだけで子どもたちからは好評価を得る。
これが、家で保護者に伝わる。子どもが
今年の先生は、いい先生だよ。
今年のクラスは、楽しいクラスだよ。
といえば、保護者は一先ず安心する。
この情報がPTA役員を通じて、教頭に伝わる。
やっぱり、任用して間違いなかった!
教頭先生も先見の目があったと、宴席で言っていたかもしれませんね。
この学校には、1年のみの勤務でした。次の学校はすぐに見つかった。となりの学校である。教頭先生が繋いでくれたようでした。
2校目の学校では、3年講師を続けることができました。この学校でも、やはり同世代はいませんでした。もちろん、子どもたちのハートは、がっちり掴んでいました!
4年間の講師経験を経て、採用試験に合格しました。
この4年間、周りは先輩ばかりでしたので、見て真似て学ぶ機会をいただけたことと、周りの人間関係を観察でき、組織でうまく生きる術を身に付けたことは、今でも財産となっています。
さて、
私の錯覚資産を生み出してくれたのは誰でしょうか。
気付いた人は、しっかりと本を読んで錯覚資産がどういうものかを捉えていますね。
私には、講師として任用される前から錯覚資産が生み出されていましたのです。
そのとおり!
たくさんの履歴書の中から、
一つの出身校に着目して、よいイメージを抱いてくれた教頭先生です。
よく考えれば、私は教員としてまだ何もしていないにもかかわらず、
「◯◯高校卒」をプラスと捉えた時点で、私自身をプラスに評価してくれたのです。
きっと、教頭先生はそんな自覚はないのでしょう。面接から判断したと
無意識のうちに
記憶をすり替えてしまったわけでしょうね。
このように教頭先生の中で
思考の錯覚が起きていたのです。
さらに、錯覚資産を増やしてくれた人がいます。
うちの学級の子たちです
始業式からそんなに時間はかかっていません。それも授業ではなく、
休み時間のドッジボールやサッカーです
つまり、子どもたちの中では、
「ドッジボールが強い」、「休み時間に遊んでくれる」→「いい先生」という思考の錯覚が起きていたのでしょう。
これを家で親に伝えると、
保護者の中でも思考の錯覚が起こる。
まさに、
私の錯覚資産は確変モードに突入したわけです。
確変モード突入のきっかけは、「◯◯高校卒」でした。
そこに、若い先生が少なかったことで、
「若さ」
という点がプラスにみえたことは間違いないでしょう。
ただ、私はもう一つ、突き抜けていたものがあったと自負しています。
それは、
「子どもを楽しませること」
とにかく子どもを楽しませて、学校は楽しいところだと思わせたかったのです。
そのために、子ども以上に全力で私が楽しんだり、楽しい企画を考えて子どもと一緒に実行したりしていました。
新卒の教師に授業力なんてありません。なくて当然です。そのときに、自分だけが持っている「若さ」という最強の武器を使って立ち向かいました。
「武器」=「実力」
とするならば、今持っている最強の武器を生かすことで、錯覚資産の確変モードに突入しやすくなるでしょう。そうなれば、よりよい環境が手に入ったり、優れた人と出会うチャンスが増えたりして、
他の「実力」が付きます。
こうなると、
もう勝算しかありません。
「若さ」は期限付きです。今ではもう使えませんが、若い先生たちと一緒に、子どもたちを楽しませることを考えていると、当時のワクワク感が甦ってきます。
やっぱり教師の仕事はやめられませんね。これから、どんどん若い先生の背中を押していきます!
さて私のその後ですが、
まだまだ確変モード継続中でした!
続きは次回に(^_^)/